読んで、登って、仲間ができる「新ハイキング」

新ハイキング社 および 新ハイキングクラブ 沿革

外秩父七峰ハイキングの歴史

2008年4月20日

昭和40年(1965)代初めごろ

ОLが日本各地で盛んに行われる
ОL(オリエンテーリング)とはヨーロッパで盛んに行われていたスポーツのひとつで、もともと軍隊の訓練として生まれたものです、三人ほどでチームを組み何箇所か設けられたポイントを探し、いかに速く正確に敵の陣地に到達できるかを競う訓練のひとつだったのです。
当時そのままのルールで日本に受け入れらた為、ヨーロッパのように広い土地がない日本では、ポイントに向かって真っすぐ走る人が多くその結果、田畑や山林を荒らすことになり農家や山林業者などからの苦情が耐えなかったのです。
そこで、昭和43年ごろ新ハイの沢田社長(故人)を中心に、若いリーダーが集まり、野山をОLのように走るのではなく、田畑や山林を荒らさず景色や植物、地形などを観察しながら歩けるるハイキングは無いかと考え出されたのが新ハイラリーだったのです。
これは野山を決められた時間で歩き、途中にチェックポイントを設け、完歩者には抽選で賞品を出すという今と変わらない方法が考え出され実行されたのです、現在行われている七峰ハイキングの原形がここに出来上がりました。

昭和43年(1968)9月14日

第1回新ハイ主催のラリーを丹沢大山で開催
参加者250名
その後東武東上線、小田急線沿線の山々で新ハイ会員、一般ハイカーを対象に行う。

昭和45年(1970)9月27日

新ハイ創立20周年を記念して、矢倉岳で新ハイラリーを開催
参加者230名 (そのころの矢倉岳は登山道が廃道に近かったので、9月6・15の両日、草刈や道の整備などし当日を迎える)

昭和50~60年(1975~1985)代

新ハイ形ラリーが日本各地に広まる
私鉄・国鉄(JR)・新聞社・地方自治体などで盛んに行われるようになった。

昭和60年(1985)

新ハイ創立35周年を迎えるにあたり何か記念行事をと言うことになり、そのころ盛んに行われていた、神戸の六甲山縦走ハイキングの関東版をやることに決まる、新ハイ山本吉春(故人)を中心にハイカーの脚力測定ができ、いつでも誰でも歩けるコースを関東各地で探す、最終的に現在行っている外秩父に決まる。

昭和60年

新ハイ創立35周年記念行事としてこの企画を東武鉄道(株)東上業務部に持ち込む
(選定理由は、登山道の近くまで車が入る、コース中どこからもバス停に1時間以内に下ることが出来る)

 

昭和60年10月8日

東武鉄道㈱東上業務部との第一回打ち合わせ
東武 米沢 博ほか、新ハイ 山本吉春(故人) 横山 隆 野瀬和紀 小川泰弘ほか
コース 小川町駅~寄居駅 約50キロ(紙上での距離)
開催日は、季節がよく歩きやすい3月末に行う予定だったが、(実際には毎年ストが予想されるので4月第三日曜に決定)

昭和60年12月17日

東武鉄道(株)東上業務部との第二回打ち合わせ
東武 米沢 博ほか、新ハイ小林社長 山本吉春(故人) 横山 隆 野瀬和紀 小川泰弘ほか
コースの名称 〔外秩父七峰縦走ハイキング大会〕に決定 年一回実施。
新ハイで全コースを歩き、地図・コースタイムを作る。

昭和60年12月、61年1月

横山 隆 小川泰弘で全コースを歩く
季節が冬だったため白石峠から先の尾根には、20センチ以上の積雪があった。

昭和61年(1986)3月6日

コース内容の打ち合わせ ハイカーの脚力検定・いつでも、誰でもどこからでも自由に歩けるようにする。

昭和61年3月15日

地図の作成 横山, 小川で、地図・コースタイム・家族~超健客向きまでコース割を行う。

昭和61年5月11日

第一回七峰ハイキング行われる
初回は、準備の都合ももあり5月11日に決まる。
第一回の参加者とスタッフ
応募者1647名 参加者1147名 完歩者252名
当日のスタッフ 新ハイ25名 東武20名

(敬称略・小川)

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