太閤一夜城址
石垣山に参陣した武将達の説明版
期日 2月24日(土)日帰り
天候 24日 晴れ
コース 南越谷7:49=8:00南浦和8:01=8:17赤羽8:33=10:22小田原10:24
=10:26早川10:40…10:55海蔵寺(堀秀政ノ墓)11:10…(太閤道)…
12:05一夜城13:40…14:25入生田駅…14:35紹太寺14:45…15:05
長興山15:15…15:35入生田駅15:43=15:57小田原16:02=17:38
赤羽17:43=17:55南浦和18:03=18:15南越谷
費用 3,050円  (南越谷⇔小田原2,670円(休日パス) 小田原~早川 150円 
       入生田~小田原 230円)
概況  2月も下旬頃になれば陽射しが強くなり、ハイキングには好条件となる。最初25日(日)の予定を24日(土)に変更した。好天気に恵まれ今年は北条氏により小田原にお城が築かれてから500年目と云うことで賑わいが感じられた。列車遅延があり早川駅到着が遅れた。海蔵寺に立寄り、豊臣秀吉の小田原合戦に同行病死した堀秀政のお墓に詣でた。秀政は海蔵寺の中興の祖となっている。蜜柑農園の中舗装された太閤道を歩く、石垣山に参陣した武将達の説明板が設置されている。相模湾の眺め、市街地の中に小田原城が望めるが高層ビルに囲まれ小さい。道路脇の即売店で各自蜜柑を買う。
 12時頃一夜城公園に着きケーキ屋さん「一夜城・ヨロイツカファーム」の前で昼食、一夜城の散策を始めた。二の丸、井戸曲輪、本丸天守台、双眼鏡があればスカイツリーも見える物見台等々観光客の方も多かった。車道に戻り入生田駅に向かい下った。ここから約10分黄檗宗紹太寺で宇治万福寺鉄牛和尚が開祖となりこの地に移り山号を長興山と定めた。
 約360段の石段を登り春日局の慰霊碑へ。説明板によると局は三代将軍家光の乳母であり小田原城主稲葉勝正の実母であるとあった。
 復路は階段を避けて樹齢300年以上という枝垂桜の脇を歩く、季節には大勢の見物客が集まるようである。(土屋 記)

————
以下は支部会員向けコンテンツです。
会員の方は別途お伝えしている「ユーザ名」「パスワード」を入力し、
「ログイン」ボタンをクリックしてください。

ログイン
 ログイン状態を保存する