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新ハイキングクラブ

新ハイキング社 および 新ハイキングクラブ 沿革

「新ハイキング」事始め

2011年1月 鮫島員義

新ハイキング60周年記念に際して、60年前にどのように新ハイキングが始まったかを、新しい会員も多くなっているのでひも解いてみましょう。

60年前というのは昭和25年、1950年。5月1日に『新ハイキング』の創刊号が発行され、同じ月に新ハイキング社が設立されたことを起点に計算しています。
1990年に発行された『新ハイキング』別冊3号には、その後の400号までの100号を重ねる毎の思い出や感想を山本佗介さんが、生まれる発端については小林玻璃三さん(前会長)が書かれている。生まれた発端について要約してみよう。
小林が勤めていた銀行の地下倉庫に残してあった私物の写真引き伸ばし機などが、終戦間近の猛烈な戦災にもに免れて辛くも残った。小林はこれが売れたお金を元に戦前の山の仲間へ呼掛けてハイキングの復興をしようと考え、新聞広告を出すことにした。昭和20年11月14日の毎日新聞に3行広告を掲載したところ、昔の仲間たち全部と連絡がついた。広告への問合わせがあった人達に入会案内のはがきを出し、会費の払い込みをしてもらった。これを元手にして他の新聞も含めてまた新聞広告を出す。これを繰り返して300人以上の会員が集まった。これが今日の新ハイキングクラブの始まりだ。昭和21年2月に謄写版刷りの会報創刊号を出し、また山行計画は会誌とは別刷りで6月から発行されていた。
昭和24年暮れごろから澤田武志さん(初代会長)が、ハイキング専門雑誌を発行したいとの志を持ち、関東一円の私鉄7社の広告予約を取り付けた。小林、澤田以外に、岩崎京二郎さん、木頭貞男さんが出資者となって昭和25年4月に隔月刊の雑誌『新ハイキング』創刊号が4000部印刷されて、ここに初めて『新ハイキング』が世に出ることになった。
これには以下のような前史がある。
昭和7年に『ハイキング』が小池利兵衛の手によって発行され、昭和18年6月の119号まで続いている。17号から川崎隆章が編集者となり、次第に声価が高まっていった。この川崎隆章が編集を退くに当たって慰労会を催すことになり、それまで名前は知っていても顔を知らない者同士が集まり、執筆者の懇親会のようになった。これ以降も集まりを続けることになり、「ハイキング・ペン・クラブ」が発足した。この仲間によって、昭和14年以降毎年のように『奥武蔵』・『丹沢山塊』・『東京附近百名山』・『新しき山の旅』・『山岳ノート』と5冊の単行本が出版され、我々にとってなじみの深いコースの紹介がされている。この仲間たちが戦後の新ハイキングの中心メンバーとなって創生期・発展期の新ハイキングを支えていくこととなった。このメンバーで現在でもお元気なのは多摩雪雄さんだけであるのはいかにも寂しいが、新ハイキングがそれだけ長い歴史を有していると理解したい。

創刊以降の『新ハイキング』は山本佗介さんの紹介にあるように、澤田社長兼会長の強力なリーダーシップの下で数々の名ガイド執筆家に恵まれて、その後も受け継がれて今日に至ることができた。また、新ハイキングクラブも個性的でユニークな企画に基づく山行を主催するたくさんの係(リーダー)によって、多くの山の仲間の人生にとってなくてはならないものになっている。雑誌という前輪と、クラブという後輪が、支えまわし続ける多くの仲間たちによって確実に回し続けられて60年。記事の執筆・編集・山行の係・支部・サービスチェーン・保険・・・実に多くの方々の努力と汗の結晶の60年によって、今月も『新ハイキング』を読んで、山行に参加できることに感謝したい。

以上

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